島ないちゃーの島ニュース
しまないちゃーの島ニュース
−島ないちゃーぬどぅんちゅいむにー(島ないちゃーの独り言)−
お願い:カービューの愛車無料査定、どうぞやってみて下さい。相場がわかります。どんなに古い車でも大丈夫です。100人の方が協力してくだされば当方イントラになれます!!(ご協力ありがとうございます。あと96人です!)ページトップの速度調査も面白いですよ。プレゼント申し込みまでやっていただくと僅かながら当方にも広告収入が入ります。是非お願いします!イントラになる資金に使わせていただきます!
1/13ブログ作りました。ニュースはしばらくこっちで更新予定です。
1/2明日からインストラクタートレーニングコースに行って来ます。阿嘉島です。
12/31大晦日である。2005年の島ニュースも今日で終わりだ。来年からはblogにするかもである。
島では花火が上がった。300発だったか、とてもきれかった。財政難の伊江村役場、お金はどこから出るんだろう。
それはともかくきれかった。
島のコンビニで働くHさんは普段裏方で惣菜を作っているが、時折表舞台に出るととんでもない
場面に遭遇したりする。ある日子供が電池を買いに来、たまたま惣菜を持って売り場に現れたHさんにこう聞いた。
「たんさん電池はありますか?」Sさんは思った。『たんさん電池?アルカリならあるが…ということはやはり酸の電池もあるはず…』一生懸命探したが見つからず、別の店員が見つけてくれた。見慣れた細長い乾電池が子供に手渡された。
『サイズだったんだ…そう思ってたんだよ!最初から。』心の中でそう呟きながらHさんは厨房に戻った(かどうかは知らない)。
12/22寒波は伊江島にも。風当たりの強い外に温度計を置いておくと6℃を指した。
午前中仕事前に西崎の方をボランティアしていると霰(あられ)らしきものが降った。午前中フェリーも欠航したらしい。
ワジに行くとすごい波だった。海沿いの道路まで車で降りた友人が危うく波にのまれる所だったと言う。
12/19雛、ずいぶん大きくなる。もう巣立ちも近い。姿は殆ど大人。
12/12勉強会場の庭木の剪定中、今度はガジュマルに鳩の巣発見。雛が二羽。発見者Nちゃんは爆弾の直撃を受けた。
12/12最近分かったこと。唐辛子を触った手でコンタクトレンズを入れると目に激痛が走る。
たとえ石鹸で洗ったとしても。
11/30島を最終便で出て瀬底島の友人宅へ。南部から来た友人と3人でナイトダイブ、ってゆーか漁へ。
初心者ですからあんまし捕れませんけどイラブチ(ブダイ)二匹とエビス二匹、セミエビ一匹get。ベテランの友人達はイセエビ、クブシミ(コウイカ)、アカジンミーバイ(ハタ系高級魚)その他多数get。帰って宴会寝るの2時。
朝一番で島に帰って勤めを色々果たした。夜勉強会後家の前でゴキブリ発見。練習のため銛で狙ったら見事命中。落ちたゴキを通りがかりの猫がすかさず捕獲し食べてしまった。すばらしいコラボの完成。
11/28久々の南風。午後からワジにダイビング。透明度はイマイチも、潜れたらやっぱり幸せですね。右、幸せの図。
家に帰ると友達が結構総出でうちの隣の部屋の掃除に汗を流していた。Bad timing!大変ばつが悪く幸せは長続きしなかった(笑)。
11/19仕事後、西崎のスロープ下でお客様とスノーケリング。
またミーバイを突いたが当たり所が悪く袋に入れるとき逃がしてしまった。
元いた穴に逃げ去るのを見たので、そこで粘って何とか捕ろうとしたが
お客様のフェリーの時間が近づき敢え無くギブアップ。手負いのミーバイはきっと小魚たちに食われたんだろうな…。
11/12今日は村産業祭りだった。おいしい牛汁とじゅーしー(炊き込みご飯)をいただき、
その後秘密のポイントへ友人を連れてスノーケリング。
今日はミーバイを突くぞ!と心に決め銛を持って出かけた。が、なかなか当たらない。
どうしてもサンゴの多いポイントなので逃げ込まれると突くスペースがない。
で悩んでいると目の前をウミガメが通過。前に見たのとほぼ同じ場所。
しかしやたらと急いでいる。こちらの銛に警戒しているのか?
「刺さらんよ君の甲羅には。大体食べたくないし。
僕ちゃんミーバイを突きに来たの!」とまあこちらの気持ちが伝わるわけもなく
一瞬にして消え去ってしまった。
その後、何とか一匹突いて。バター焼きとあいなった。
美味い。
11/5で、この数日は夏である。やはり今も暑くてシャツを着ていない。
夕方ボランティアに行くと夕陽が美しかった。
昨日は南風だったのでワジにダイビングに行った。大変良かった。
10/26-30で5diveした。大阪の友人が大満足してくれた。左写真。
10/25このところ、突然冬である。熱帯夜からも開放されている。でも今は暑くてシャツも着ていない。
これからビールを買うのをやめようと決意(?)した。飲まないのではない。買うのをやめるのである。
そしてお金を貯め、イントラを目指そうと思う。
10/20沖縄本島在住の友人がスノーケリングで20a以上あるコンク貝を捕った。
「水底の砂地に落ちてましたぁ」そうだ。刺身で食べたが美味かった。
10/19以前「阪神・アワビ大震災」とのたもうた友人の息子とその友人を夕食に招待した。
今日の夕食は石焼ビビンバである(より正確にはピビンバ)。彼は朝から楽しみにしていた。
そしてお母さんに確認した。「今日の晩ご飯は石焼ボボンベだよね!」
食べたら深く潜れそうだ。
ビビンバ、ババンボ、ブブンビ、ベベンブ、ボボンベー!
10/17仕事後、スノーケリング。北風が強く、西崎へ行った。ミーバイを突いた。水温が結構下がっていた。
10/11昨日は2件仕事にをハシゴして行った後、午後4時から勉強会場の清掃をした。日が沈むのがずいぶん早くなっている。清掃終了間際にサシバの初鳴きを聞いた。終わってお茶をみんなで飲んだとき、A子ちゃんが手作りのケーキをご馳走してくれた。
疲れた体にとても優しかった。
そして今、一日の仕事を終えて新潟の仲間がくれた越野寒梅を一人ちびりちびりと飲んでいる…。
10/8今日もとてつもなく暑い。ダイビングに行ったが水面温度32度。
でも久々のワジはとても気持ち良かった。何より元気なサンゴに元気をもらった。
不思議なことに海底に新しいアンカーが落ちていた。
お世話になってるダイビング屋さんに上げようと思って拾って帰ったが、
重いし抵抗大きいし運ぶの結構大変で空気を沢山消費した。
浮上後、沖縄本島在住のIさんとスノーケリング。Iさんはスノーケリング暦短いのに準備万端で、ハウジングもご持参。恐れ入りました!堪能しておられました。
海を出、夕方ボランティアに参加後、ショップにタンクを返しに行った折、
例のアンカーの話をすると、「それ、うちのアンカー。こないだなかなか外れなくて、そのうち暗くなってきたから
また取りに来たらいいやと思って置いて来たんだよ。でもありがとう。」
こんな偶然てあるんですねぇ。
10/2今日、ボランティアで行った先の一軒は前も来たことがある。
確かマルチーズがいたと思うが名前を思い出せない。
まずはベルを鳴らす。と、例のマルちゃんを抱いて奥さん登場。
「すみません、名前何でしたっけ?」「○○です。」
「そうそう、○○、久しぶりー!わー大きくなってー…なるわけないわな。
マルチーズやもんなー。」と一人でボケて、一人で突っ込むと、
奥さん、ツボにはまって最後まで笑っていた。このネタ、また使お。
10/1ボランティアで回った先で年配の奥さんから色々昔話を聞いた。
物があるのが当たり前になることの怖さについて意見の一致を見、
帰ろうとした矢先、空舞う鳥を見つめ奥さんが言う
「サシバじゃないかしら。」ほんとだ。例年より10日早い。もう冬か…。
9/29弟が子供を連れて遊びに来た。一緒に秘密のポイントでスノーケリング。
いつも見慣れた風景だからと、カメラも準備せず行くと、
大きなバラクーダ現る!こんな時に限って…。何でイノーの中にバラクーダなん?
しばらくするとまた大きな影。変わった形の魚…と思いきや、カメ!海亀!
島で泳ぎ始めて10年になるけど、始めて見た。
島にカメがまだ来ることを目の当たりにした。
補足:海に行った時、地元のおばさんたちがいて少し話した。
島っぽいイントネーションで話したら、「島んチュね?」と言われた。
ちょっと嬉しかった。
夜は友達とみんなでバーベキュー。うちの屋上で楽しんだ。
9/19調子に乗って二日連続でイカ釣りに行ったが全く釣れない。釣りダチの小学生
タツトに「あれはまぐれだったのー?」「『イカ釣りは一日にして成らず』って『釣り王国』に書いてあったよぉ。」
と責められる。きびしー!
9/17夜、またイカ釣りに小一時間行った。一匹釣れ、刺身とバター炒めにして
食べたが、めっちゃうまかった。明日も行こう。
9/16今日は仕事が休みだったので1日ボランティアに励んだ。
6.5時間位。人類はティアウーガ星人の子孫だという奥さんと話もした。
今度それを信じられる根拠を教えてくれるそうなので楽しみだ。
夜はイカ釣りに行った。泳いでいるのは見えるが釣れない。
あきらめて、グラウンドに走りに行ったが、今週はサボっていたのできつかった。
9/13朝一番でマサツグ帰る。それにしてもいいタイミングで来てくれた。
間のいい男だ。午後、新潟組帰る。
海も満喫されたようだ。誰か是非移住してもらいたいものだ。
9/9補足。旅に出る前、妻は職場で買い物を頼まれ1万円を預かった。
ところが、家に帰ってポケットの中を見るとない。
探しに戻り、職場のみんなに聞いて回ったがやはりない。
気の毒がられて、主はもう一度お金をくれようとしたが、
彼女は「私のミスですから。」と断る。
私も家に戻ってから、一応職場までの道のりをバイクで探してみた。祈りながら…。
とはいえ何時間も前に落としたものが普通見つかるわけはないと正直思いつつ職場まで戻り、
またみんなに聞いてみた。あるわけはない。
「一応、妻も納得するだろうと思ってもう一回探しに来たんです(笑)。」
そういい残し、家に帰ろうと職場を出た。ところが職場から数メートルもしない所に何か紙の塊発見!
もしや?そう、あったのである。1万円。職場にすぐ戻り、おもむろに広げて見せた。
「奇跡だね!。」目を白黒させていた。帰る途中、妻が歩いて探しているのに会った。
バイクに乗せて帰り、着いてから見せた。泣いて喜んでいた。
9/9しんちゃんとT君、朝一番の高速艇で島を出る。荷物を搬入してのんびりみんなで話していると船が突然出発。えっ?「乗ります。すみません」と声をかけると
戻ってくれた。危なかった。途中メールをくれたが、イルカの群れが見られたそうだ。
1ヶ月間島にいて、色々助けてくれた。感謝である。ただでさえ寂しいところ、今日は妻も旅に出てしまった。
マサツグがいるのが救いである。明日からまた台風の影響が出るはず。
9/8しんちゃんとT君、マサツグ(大阪から遊びに来ている後輩)とアサヒ部落にスノーケリングに。
ホントはダイビングに行きたかったのだけれど、タンクを借りられなかった。
でも久々のアサヒ部落ではタマンの50匹はいるかというような大きな群れを見た。
透明度もなかなかで、満足度が高かった。しんちゃんとT君は泳ぎ収め。明日福岡に帰る。
9/6台風14号は沖縄をかすめただけで去る。
おかげで気温が下がり、いつも32度の室温が28度。昨晩はエアコンなしで眠られた。
大きな台風だけに波が未だ高く、今日で丸3日フェリーが止まっている。
9/4昨日朝、10日ほど一緒にボランティアを楽しんだ仲間が大阪に帰った。
台風14号が近づいている中、波に揺られながらフェリーで帰って行った。
見えなくなるまで手を振って見送った。今週は一ヶ月留まった別の仲間達が福岡に帰る。
その後、新潟からまた別の仲間が来る。寂しがっている暇もない。
今朝からまたフェリーは止まるはず。
8/31今月はお客様が多く忙しかった。その上、妻が友人の引っ越し手伝いで島から出、フェリーも台風で止まって帰ってこない。
そんな折、二日ほど前からwindowsの調子が悪くなってとうとう死んだ。
マイクロソフトのサポートに電話しても新規インストールしかないと言う。
そんな解決策だったら私でも分かると思いつつ、ま、プロが言うんだからあきらめて
新規インストール。
幸いHDDが二つあったので大切なデータは全て残っていたが、大変だった。
昨日(今日)寝たのは午前3時。
今日は休暇だったが殆ど部屋の模様替えで終わってしまった。
それにしても久しぶりの更新だ。たまたま遊びに来てたしんちゃんが「どうやって更新するんですかと」聞いたからやっただけ。
相棒のT君は家に帰ったが、なんでだろう、怪しい。
8/8ダイビング再開。今日は4人でリリーフィールド。
波も穏やか。妻はエントリーの時「水面よし!」をやっていた。海猿かぶれすぎ。ドーム手前でナポレオンを見た。また妻が穴の中のエビを撮ると偶然シモフリタナバタウオが写っていた。満足度の高いダイビングであった。
8/2今日は海猿でまた感動してしまった(;;)。2週連続である。毎週やられている。台風接近で波が高くなってきた。ダイビングはしばらくおあずけ。
8/1いつの間にか8月になった。
昨日大変な事件が起こった。島のおばあが義理の息子に刺され重傷という。息子はアルコール依存症だったという話もある。
7/16夜東海岸に花火を見に行った。楽しんでいると、急に対岸が曇って見にくくなり、豪雨が降り始めた。
台風が接近してるからなぁ。濡れて帰った。
7/15ボランティア仲間が兵庫県から応援に駆けつけてくれた。夜一緒にビーチでバーベキューした。仲間のうちの一人は音楽の先生でカンツォーネを歌ってくれた。美声であった。負けじとジモティーズ(と言っても殆ど島ないちゃー)が「島ンチュぬ宝」を歌った。アホだったが喜んでくれた。
7/9ワジにダイビングに行くつもりが、うねりが入っていたため急遽オホバに変更。かねてより聞いていたブイの位置から大洞窟を目指す。エントリーして東に向かい水深25mあたりに穴を発見。これか?と入り口を覗くと、どうやら出口が底に見える。様子を見に入る。バディは呼んでも付いてこない。仕方なく一人で入る。
大洞窟にしてはそんなに広くない。でも光は美しい。
出口付近で水深計を見ると40mを指している。嘘だろ?
と、ダイコンを見ても38m!深すぎ。すぐ穴を出て
ゆっくり水深5mまで浮上。十分減圧して陸に戻った。
あとでシーモンキーズに行って聞くと「縦穴だろ?あんなの潜っちゃ駄目だよ。危ない。空気10分しか持たないだろ?」。ちなみに妻は穴に入っていく私を「さようなら〜。」と見送ったそうだ。
7/8久々に沖縄本島に旅に行った。名護で用事を沢山済ますぞと意気込んで出たものの、本部を出て5分後車がオーバーヒート。友人にアドバイスを受けながら何とか
整備工場にたどり着く。工場のおばさんに状況を説明するが、「今代車がないんだよね。」とつれない返事。でもその工場のお兄ちゃんが少し見てくれ、ラジエーターに水を入れ漏れが無いかしばらく確認したところ、「キャップが駄目になってるみたい。これ換えれば直るよ。とりあえず今のままでも大丈夫じゃない?。」と心強いお返事。何とか復活し、旅を終えた。疲れた。
7/1,2は続けてダイビングに行った。
ワジとカナン崎ドーム。どちらもコンディションが良く
楽しめた。とりわけカナン崎ドームは地形が面白い。トップページ写真はカナン崎ドーム近くのもの。Nちゃんが写っている。
6/29今日も修学旅行の体験ダイビングお手伝いに行った。天気は良好、良好すぎて日焼けで真っ赤になった。
余りに暑いので時折海に入って涼を取った。
高校生たちはとても元気で楽しんでいた。
喜んでくれ、たくさんの感謝の言葉にこちらも元気になった。
6/27今日は仕事後オホバNo1にダイビングに行った。
梅雨も明け、波も穏やかで楽しむことができた。
イソバナのポリプがとてもきれかった。
6/25クマゼミ捕獲(左写真)。村内放送でウミガメが産んだ卵を持ち帰らないようにと言っていた。伊江島、まだ亀来るんだ。
6/24クマゼミ初鳴き。梅雨も終わりか…。
午後、四国から来たお客様とスノーケリングに出かけた。エダサンゴの腫れが引いている。もう産卵が終わったのかもしれない。
6/22旅に出て海ンチュの手伝いをした。サザエやウニを捕って大変楽しかったが、陸に上がってから目にゴミが入りコンタクトを外した時飛ばしてしまって凹んだ。気を取り直し
夜、そちらのお宅でご馳走を呼ばれる。伊勢エビの刺身にグラタン、アカジンミーバイ、クブシミ、タコ、イラブチ、サザエ、シャコガイの刺身、伊勢エビのミソのコロッケ…etc.うますぎ。癒された。我ながら単純。
6/13サンゴの産卵を一目見ようと、6/2,9,10と夜スノーケリングに出かけた。2日は水温が低く駄目。9,10はピンクのツブツブが水中に多く漂うも、産卵シーンは見られず。次のチャンスは22日前後の模様。
6/8今日は本業を離れ、修学旅行の体験ダイビングをお手伝いに行った。一日タンクを担がせ続け、結構疲れた。もう寝よう。zzz…。
6/7今日まで友達がダイビングのライセンスを取りに来ていた。とても安くしていただいたのでお礼もかねて
ショップに行った。コンパスナビゲーションの話からタンクで潜ることの自由と恐さの話になった。
本島中部で潜るウミンチュが残圧少なくなった時に大きな魚(ミーバイなど)を見て、突いてしまい、上げ切れなくてそのまま魚を抱いた水死体で発見されることがあるという。魚が金に見えるんだはず…。悲しい話だ。
「金銭に対する愛は…人を滅びと破滅に投げ込む」
5/30今日は5月30日だからゴミゼロ運動の日である。
5:30から自治会ごとに全島一斉の清掃をし、その後反省会(という名の飲み会?)があるようだ。
どこで集まってするのか何の連絡も無いので、
とりあえず家の周辺や、勉強会場周辺のゴミを拾い、
ゴミゼロの気分だけ味わった。
昨日と今日は梅雨の晴れ間のようで、今日は久々に夜グラウンドを走れた。
すると、タバコ葉を乾燥させる臭いがどこからともなく漂ってきた。これを吸いながら走るのは体に良いのか悪いのか考えていると、友人が以前この臭いを「かぼちゃの煮物の匂いと思った。」と話していたのを思い出した。確かに良い匂いと悪臭は紙一重のところがある…などと考えながら走るコースを臭いの少ない方へ変えた。
星がきれいだった。明日も晴れである。
5/22今更ながら「海猿」を見た。
「映画なんだから友達殺さんでよ」。と思った。
でもまた潜りたくなった。
5/20今日で37歳になった。ボランティア仲間に「おじさんになった」と話していた矢先、今日甥が誕生したという
知らせがメールで入った。ホントにおじさんである。
5/12海が凪で梅雨の晴れ間…ダイビングっすね。
昼から出かける。今日もワジはきれかった。食べすぎで気分が悪くなり急浮上した
Nちゃんが目に充血していた。ショップでそのことを話すとその場にいたイントラ二人の目つきが変わった。
プロの目だ。
状況を詳しく話すと、安心したようで
1,2週間もすれば治ると教えてくれ、いつものように冗談が始まった。優しい目に戻っていた。
5/8この所、伊江島は凄まじい人出だった。ゆり祭りも大盛況だったようだ。
仕事が忙しく一度しか行けなかった。その上、昨日、今日と伊是名島へ旅に行っていた。
船を乗り継ぎ、ボランティア、スノーケル、勉強会と慌しく時間が過ぎ、島へ帰ると夕方大雨が降った。ゴールデンウィークが終わった。
5/5関西人と九州人、伊江島で出会う。
九州出身の島ないちゃーSさんはウェイトレスである。最近、関西からの団体客を接客した。
弁当を開けた一人のおばさんが、自分の弁当と隣の弁当を比べ「あっ!」と声を上げる。「ちょっと、お姉ちゃん!」呼び出されたSさんにおばさんはこう言った。
「お姉ちゃん、私の、キュウリの漬物一個少ないみたいよ。」「すみません!すぐお持ちします。」Sさんは「このお客さんはきっとキュウリの漬物が大好きなんだ!」と思い、たっぷり皿に盛ってお出しする。お客様はそれを見てびっくり仰天!
「何で、こんなに…。」
Sさんは親切の気持ちでやったのだ。しかし、おばさんは別にキュウリの漬物がそんなに好きだったわけではない。自分だけが同等のサービスを受けていないことに注意を喚起したいだけだったのだ。
関西人である私はこのおばさんの気持ちが良く分かる。そしてSさんの気持ちも友達だから良く分かる。
コミュニケーションギャップ。それはウチナーンチュとないちゃーだけの問題ではないのだ!
5/2余りにも蒸し暑いと思ったら入梅したようだ。
今日からクーラーをつけた。
4/27尼崎の脱線事故−その2−
友達から朝メールが来た。
「あの時刻の電車、実はよく乗ります。月曜日も乗るつもりでした。…隣のマンションの奥さんも亡くなっています。人事ではないです。」
遺族の方の声を見聞きすると
本当に人事ではない。19歳の息子と20歳になったら一緒に酒を飲む約束をしていた親父さんが「果たせなかった。」と言っておられた。全く逆だが私が20歳になる前に死んだ親父のことを思い出した。
現実の世界で、惨事はいつ起きてもおかしくない。みんな希望と慰めが必要なのだ。
この事故では、時間効率偏重主義という祭壇の上に
多くの犠牲が捧げられたような気がして仕方がない。特に沖縄でのんびりやっているせいかもしれないが、今の日本、何か間違っている気がする。ニューヨークタイムズ紙も今日付けで同じようなことを指摘していたので、そう感じる人は私だけではないはずである。
4/25朝職場で私の出身地、尼崎の列車事故の第一報を聞いた。
時間が経ち、詳細が明らかになるにつれ増えて行く死傷者の数。インタビューに答える人の話が心を打つ。
惨劇にも少し心が和むのは、自分のことはほっぽり出して救援を手伝った、工場のおっちゃんたちや近所のおばちゃん、先に救出された兄ちゃんたちの姿。それから事故を知ってすぐ私に心配してメールや電話してくれた仲間たちの温かい気遣い。事故の被害者の方々にも周りからのそんな気遣いがあって欲しい。そして本当の意味での慰めが…。
4/24しばらく前、沖縄本島中部に住む友人に
インドネシアの津波被害に関するメールが来たそうだ。
その中に右のような生き物の写真が多く添付されていた。
見覚えがある…。そう、ファインディングニモに出てきた深海魚だ。
津波の時、深海魚が沢山打ち上げられたらしく、この魚以外にも色々な種類の深海魚の写真があった。が、余りにもグロテスクでお見せできるのはこの一匹くらいである。正直、思い出すだけで気分が悪くなるくらい…ウッ。
4/22昨日21日は伊江島の陥ちた日である。(沖縄戦史「伊江島の戦闘」に詳細あり)
慰霊祭があり、島外からも多くの訪問があったようだ。
4/20メジロのヒナ、今日無事巣立つ。友人が昼間見に行くともういなかったという。私たちも確認に行ったがやはりいなかった。ホントに良かった。
11日にほぼ生まれたてを見つけ、21日に巣立ったことになる。捕食されやすい生き物は巣立ちがとても早いと言うが目の当たりにして改めて感心した。
4/19メジロのヒナ、二日で羽の色がグレーから緑に。メジロらしくなって親と見間違えるほどに。すでに目も開いてこっちを見ている。雨がかなり降ったが順調に成長。左写真。
4/18メジロのヒナ、殆ど羽根が生えそろってきた。(4/17)
親がいない間に写真を撮った。友人Kさんは、今親がいないと聞いて見に行ったが、なかなか帰って来ない。
見に行くと、何と巣に月桃の葉を差し込んでいる。
私:「何やってるの?」Kさん:「動かないよ。死んでるはず。雨に打たれないように屋根を作らないと。」私:「そんなはずないよ。毎日成長してるのに。雨に打たれないように親が毎日守ってるよ。」
その後、再び巣を見に行くと、Kさんがまた月桃で変な屋根を作っている。おえ、こんな怪しいもん作ったら親が
寄り付けへんやんけぇ!即撤去。
夜から体育館にバドミントンをしにいった。
殆ど2時間弱動きっぱなしだったがバテることなく乗り切った。走っている成果だと思った。ただし、すでに全身筋肉痛である。一日目に出るからまぁ良しとしよう。
4/17今日は酔っ払いの「どぅんちゅいむにー」である。
昼間ボランティアの合間に浜で貝を拾った。
Aちゃんが一生懸命に集めて袋に入れている。
「どうしたの?」
「友達に送ろうと思って。」
「誰?」「とても頑張ってる友達なんだけど、とても辛いことが多いみたい。何か慰める言葉が無くって。貝でも送ろうかと思って。」
みんなで集めた。その時彼女の友達に平井堅の「Life is…」を送りたいなと思った。
夜、酒を飲みながら「Life is…」を聞いた。
歌いながら弟(よくストリートで歌っていた)の言葉を思い出した。「平井堅はあんまり歌わん方がいいで。彼は裏声きれすぎるからまねするのに無理があるやろ」。
酒が入っているせいか、何か涙が出てきた。
この2月、尼崎の実家に帰った時のことを思い出して。
2週間実家にいた。こんなに長く里帰りしたことはこの10年で初めてだった。弟(上述とは別。ペンキ屋)と一緒に仕事したり、妹の子供と風呂屋に行ったり、みんなで家族旅行に行ったり、
みんなで大会に行ったり。一緒に歌ったりした。
尼崎に帰りたい…。これが私の「目深にかぶった帽子を
今日は外してみ」た姿なのだ。
4/15昨晩なぜか夜中に目覚め、朝まで眠れなかった。が、意外と動けるもので通常通りの活動に加え、スノーケリングにまで行ってきた。ただ少々ハイになってはいる。
これが続くと頭がおかしくなるんだなって分かる。気をつけよう。メジロのヒナは一昨日より更に成長し、
随分鳥らしくなってきた。今日も親のいぬ間に撮影。
夜、布団の中が気持ちよかった。あっという間に何ともいえない甘い眠りに入った。
4/13メジロは少し大きくなり羽毛も少し生えてきた。
ちゃんと親鳥が守っている(右写真)。近づくと飛び立ったので、その間にちょっと失礼して撮影。しばらくはメジロ日記になりそうである。
今日は仕事後から友人のバイクの修理をした。マフラーの排気漏れだ。以前マフラーテープで巻いて直したのだが、また漏れてきた。ボランティアに行った時、修理上手なおじさんにそのことを話すと、これで直せばいいとアルミのテープをくれた。すでにある程度対処していた上から何重にも巻いて、さらにビールのアルミ缶をテープ状にしステンレスの留め具で留めた。
音は完璧に治まった。
4/12今日は伊江村長選挙の告示日。対立候補もなく、前村助役さんが無投票で新村長に。新村長は西江上区の方なので、今日は西江上公民館でお祝いがあるそうだ。そのためにヤギが5頭屠られたようである(豚も屠られたそうだが何頭かは知らない)。
昨日のメジロは今日も元気だ。今、親鳥がヒナを覆って(保温のため?)守っているのを確認した。
4/11昨日無事に伊江島一週マラソン終了。
今日はいつもの静かで長閑な島に戻る。仕事の後、
午後からは勉強会場の清掃をした。妻がレンギョの剪定をしていると図らずもメジロの巣を発見。
まだ目も開かないヒナが中に…。親鳥は戻って世話をしているのを確認したものの、丸見えになってしまった巣が外敵に狙われないか心配だ。
4/8今日の成果サザエ17個。シャコガイ一個。この春一番の陽気に誘われ久々にワジでスノーケリング。
仕事後、夕方のボランティアに行くまでの間行ったにしては上出来である。
4/7来る日曜日10日は伊江島一周マラソンである。
前夜祭で飲みすぎ翌日走られない人もいるという(笑)。
日曜でなく、参加費が村民無料なら是非参加したいのだが…。
3/31釣り吉スーパー小学生はまたやってくれた。今度は
1m級の大ウナギを釣ったという。
今度弟子入りしよう…。ちなみに彼の先生は
沖縄唯一の釣りインストラクターらしいが、
偶然私の知り合いである。その子も小学生の時から利発な奴だった。
夜走りに行った時、50m何秒か計ってみた。
10年以上ぶりに7秒台になっていた。速くなるもんだなぁ。今度は我が人生未体験の6秒台を目指したいもんだ。
3/30仕事を終え休暇で訪れているKさんをもてなそうと、海にウニを取りに行った。サザエ、トコブシ、シャコガイ、コマガイなど少々と
ウニもそれなりにGETし、友人Sさんに海で中身を出してもらい帰宅。すると餃子を作ることにしていた妻がバイクで買い物先から帰って絶叫。「餃子の皮が売り切れてる!作って!」ええっ?今から?急遽粉を粉を練り、寝かしてる間ボランティアへ。帰って餃子作りに励み、
Kさんご夫婦と楽しい晩餐会。今日も楽しいながら慌しい一日だった。
3/29久しぶりにスノーケリング。寒かった。
夜、あるシマンチュの孫(小学生…なぜか友達)の
友人(小学生)が釣りに行ってタマン(ハマフフキ)が釣れたという話を聞く。見に行くと30cm余る大きさ。やるなぁ。小学生!
3/28バレーボール女子日本代表セッターが伊江中で指導してくれると村内放送で言っていた。確か竹下佳江さんだった思う。有難い話だ。
また、インフルエンザの感染者がとうとう100名を上回り、(ちなみに村人口5250人)診療所では検査薬が尽きたため、沖縄本島の病院で診てもらえとも言っていた。その場合、フェリー代をサービスしてくれたらいいのにな。
3/25週の後半から突然寒くなってきたせいか
風邪が流行っている。保育園も閉鎖されている所がある。村内放送でインフルエンザの流行に注意を呼びかけていた。
3/22余りに暑かったので仕事のあとウエットスーツも着ずに泳ぎに行った。やっぱり寒かった。でも久々にクマノミちゃんたちも見て満足。ウニがいっぱいあった。
3/20不思議なものを見た。その名は「CEPSULE ROOM」。
何やら小さい部屋である。目撃者によると小さなベッドとミニキッチン、冷蔵庫などが備え付けられた貸し部屋とのこと。「CAPSULE HOTEL」と似ている気がする…。
家に帰って「CEPSULE」とは何か検索してみた。と、ロシア語らしきサイト登場。意味不明である。さては看板屋がAとEを…。そう言えば内地でもこういうのたまに見るなぁ。
3/10今日は一転して夏になった。
今半袖半ズボンで風呂上りのため扇風機を使っている。
冬と夏が日替わりである。現在室温23℃。
3/9プラグを交換しバイク復活。夜、伊江牛のしゃぶしゃぶをご馳走になった。肉が甘かった…。
3/7昨日旅に出るため、バイクのエンジンをかけようとしたところ、余りの寒さにかからない。
どうする?フェリー出港13分前。走るしかないか…。
港までたいした距離じゃないと思ったが、
荷物背負ってブーツはいて走るのはいつものジョギングとは勝手が違う。
港に着いたら2分前。気分悪くなった。
フェリーの中で休んで気を取り直し、
夕方から友人宅で食事会。そこで友人Kさん夫婦と14年ぶりの再会を果たした。Kさんは以前よりもスリムになって健康そうだった。今日、Kさんを海洋博会場にお連れし、その後、昼食をご馳走になってしまった。旅烏のボランティア人生を送っておられるにもかかわらず本当に「与える喜び」に満ちておられ頭が下がる思いだった。
帰りに名護のジャスコに寄ってもらえないかと頼まれた。「明日結婚記念日で、20周年なんです。」美しいオシドリ夫婦である。爽やかな気持ちにさせられ帰途に着く。が、これまたのんびりした車が行く手を阻み、本部港到着はやはり2分前。疲れた…。
島に帰るとMさんが迎えに来てくれた。
バイクの修理までつきあってくれたが、結局プラグがかぶり、その上プラグレンチが車の中にあるので修理断念。明日は一日歩きで活動である。
村内放送で今日は「車検に入れましょう」と励ましていた。教育的だ。
3/5激寒。こないだ内地に帰った時と変わらない位寒く感じる。島ないちゃーSさんは夕方のボランティアの時、「もう帰りたい…。」と悲しいモードに入っていたそうだ(実家に帰らないか心配だ)。
外にあった温度計は8.5℃を指していたという。明日はもっと冷え込むらしい。風が強いので外の体感温度は0℃前後かも。
この時期、村内放送で毎年共済の案内をする。
その際、「交通事故が増加の一途をたどっている」と言うのだが、去年までは「ゾウカノイチズをたどって」いた。しかし今年は一味違った。「ゾウカノイトをたどっている」そうだ。おしい!かすめた。チップ。来年こそはビンゴだ!頑張れ村内放送のお姉さん。
3/3天気予報を見て、内地に大雪をもたらす低気圧が沖縄に大雨をもたらしているのだろうと気付く。今日も雨。(2/10より…の部分更新済み)
3/1今日は久しぶりに晴れた。沖縄の冬は雨が多く、まるで雨季のようだが、この2月は特別多かった。大阪から越してきたMさんは本に黴が生えたそうだ。
2/10より今日24日まで1年2ヶ月ぶりの里帰りで関西へ
。尼崎、西宮、宝塚、泉南、滋賀、兵庫県の中央部、岡山、神戸と東奔西走し、今日島に戻る。
夕陽が照らす武庫川と六甲の稜線が織り成すコントラスト、大阪とはおよそ思えない箱作の美しい海、霧に覆われた市川の山、枝垂桜の並ぶ川べりに整然と並ぶ倉敷の町並み。店の前のバケツに張った氷。数え上げればきりの無い美しいもの。
そして何より美しいのはどこへ行っても温かく迎えてくれる仲間。怪我にくじけず再起に励む若者、原爆の被爆者でありながら明るく毎日を生きる83歳のおばあちゃん。被爆体験を昨日のことのように話してくれた。引っ越す妹を見送りに来てくれた20人以上の仲間。何年ぶりかにあっても変わってなかった友情。
家族ともずっと一緒に過ごし久々に家族の愛情にどっぷり浸かった。自分が愛されていることを実感した2週間だった。
那覇空港に降り立った瞬間、例の生ぬるい風が吹いた。「帰って来た!」島ないちゃーなら思わずにやけてしまうその瞬間である。空港にも愛する仲間が迎えに来てくれた。留守中車を預かってくれていたのだが、エンジンがかからないと言う。少々不安になったが、彼にパチンコ屋の駐車場で車を引っ張りまわしてもらい、5分くらいだろうか、押しがけし続けてようやくかかった。高速乗ったら後は順調。
本部からフェリーに乗って現実に戻った。
2/4去った1/27より風邪をひき、未だに引きずっている。
そうこうするうち、2/1大阪から仲間のMさんが引っ越して来てくれた。
空港まで迎えに行き、彼の車を港に取りに行き島に直行。
夜は勉強会の後、みんなで歓迎会。折しも奄美在住のイージマンチュUさんが
里帰り中で合流。楽しい歓迎会となった。
翌2日から彼はフル活動となり、今日2/4、私の風邪がうつって夕方から寝込んだ。
スマンMさん。
1/24今日のボランティアは「捨てる神あれば拾う神あり」だった。
顔に帯状疱疹らしきできものができた人に「すぐ病院に行ったほうがいい」と話していたのだが(「目ざめよ」誌95年4/22P14元ネタ)、その方がどうなったか気になったので行ってみた。開口一番「ありがとうねぇ。やっぱりそうだった。病院の先生にこんな風に言った人がいたから来たんだって言ったら、その通りだって言われた。」随分喜ばれ気を良くした。
同日後刻、ある家の前に車を停めてる兄さんがいたので話しかけた。兄さん無視。その間妻が家の方に話をしていたのだが、兄さん何を思ったか
、突然車から飛び出し「今すぐここから出て行け!二度と来るな!。」と言う意味のことを島口でのたもうた。
さいならー。
1/18友人の小学校2年生になる息子が学校で震災10周年について学び、家に帰ってお母さんに報告した。
「今日、阪神・アワビ大震災から10年たったんだって。」ちゃうやろ!それにしてもうまそうな震災やな。
1/16あと数時間で阪神・淡路大震災から10年を迎える。
あの時ルームメートと共に尼崎のアパートで被災した。
アパートが全壊したので実家に居候し、それから暫く救援活動に没頭していた。
「自ら被災者であるにもかかわらず、救援に携わっている人たちがいます。」そんな褒め言葉をいただいて
耳がこそばゆい気がした。いや、聞きたくなかったのかもしれない。
自分より困っている人たちがいる、それを助けるのは当たり前だ、そう自然に思えた。
みんなそうだったと思う。少なくとも最初の何週間は。みんなで助け合っていた。
年齢も立場も関係なく…。
でも時間が経つうち、生活は段々日常へ戻っていく。救援は収束に向かい、
その年の6月、私は後ろ髪引かれる思いで以前から決まっていた沖縄へ移住した。
今思えば、あの時見た、非日常の中で助け合う人々の姿、美しい姿は
決して幻ではないと思う。それは本来人間が持つ本質的なもの。
それがいわゆる日常に埋もれていったのであれば、
実はその「日常」が幻なのだ。
「世は過ぎ去りつつあり、その欲望も同じです」(ヨハネの第一の手紙2章17節―聖書)。そう、幻なのだ。
それから10年…。改めてあの時見たものを忘れてはいけないと思った。
1/13去った8日土曜日は本部に住む友人とダイビングに行った。ドライスーツだったので寒くはなかったが、
トイレに行きたくなって浮上。ドライはそのままできないんですな。
1/10は大変忙しかった。朝一番で仕事に行き、その後
ボランティア、昼からスノーケリングに行って、3時からは勉強会場の清掃。夜は風呂屋に行った。帯状疱疹が復活するかと思ったが、何とか持ちこたえた。それにしてもスノーケリングはウェットスーツ5mmだったのでかなり寒かった。
1/3大変暖かい一日だった。朝から友人と共に城山に登り、港に彼を送った。3日とあって、島を去る人も多い。たくさんの見送りの人に交じって妻と二人、彼を見送った。いつまでも手を振っていた。
会っていたのは短い時間でも、会ってなかった5年間の空白が少し埋まった気がした。
夜、彼と行くはずだった風呂に一人で行った。昨日のお詫びと言うことで無料で入れてもらえた。
1/2二日は旧友と再会。島まで来てくれた。一緒に夕陽を見、会わなかった間にあったことなど話した。
一緒にその足でゴルフ場の風呂に行ったが、昼間電話で風呂を沸かしていると確認したにもかかわらず
沸かしてなかった。随分申し訳なく思ってもらったようで、「明日は必ず沸かす」とのこと。
家に帰ってキムチ鍋で一杯。話は尽きない。
1/1大晦日は伊江港で花火の打ち上げがあった。123発。近いのでなかなか見ごたえがあった。
正月は古宇利島に初詣ならぬ初ボランティア(?)に出かけた。家の方々も歓迎して下さり、大変楽しかった。
本部の友人宅で沖縄そばをおいしくいただいて、3時の船で伊江島へ帰る。気持ちが新たにされた気がした。
ただし海は荒れて船は大揺れ。気持ち悪くなった。
2001年の島ニュース
2002年の島ニュース
2003年の島ニュース
2004年の島ニュース